中学生

私の人生

中学は志望する学校に入学した。部活はバスケ部に入部した。スラムダンクが流行っていたし、同じクラスの友人の姉がバスケ部だったから、一緒に見学に行ったそのままの流れで入部した。

私は、バスケ部に入るまでバスケットボールがどういうものか知らなかった。走りっぱなしのスポーツということは、入部してから知った。体力的についていけず、辞めることも許されない。いや、今思えば辞めたいなら辞めれば良かったのだろうが、周りの大人に逆らう勇気はなかった。

自由な校風に惹かれて入学したはずなのに、バスケ部は部則が厳しく、カーディガンはダメとかの謎ルールもあった。顧問も含めてカーディガンを着ていると怒られたから、ルールはしっかり運用されていたが、そもそもカーディガンがダメとか誰が何のために決めたんだ?と今なら思う。

日本人はすごいと思う。一度決めたルールは目的不明となってもしっかり運用する。それも何代にも渡って。国民性なのか?

勉強は本当にしなかった。中学受験が終わったときに、もう一生勉強はしないと決めたから。当然、成績は悪く、学校の成績は最底辺。慌てた親は個人指導塾に私を入れた。二年生になると、周りがPHSを持ち始めた。例に漏れず、私も欲しくて、中学3年生の時に、テストの成績が良かったら契約してあげるといわれて、猛勉強の末に携帯を契約してもらった。

中学の頃は、社会の課題で毎週ニュースの感想をレポートとして提出させられていた。テストがどんなに点数が良くても、そのレポート提出しないと容赦なく学期成績に1がつけられる恐怖の課題だ。当時は、その課題はただただウザかった。中学生の興味を惹く芸能ニュースは許されず、政治経済・時事ニュースに限定されていた。こんな毎週消費される興味もないニュースをまとめさせて、何の意味があるというのか、何も分かっていなかった私は憤っていた。

この課題が花開くのは、30代を超えてからだった。当時ニュースとしてまとめた内容は、20年を経て、歴史になった。歴史が分かると、因果が分かる。過去の因果関係が分かると防衛策も思いつく。これは、仕事に大いに役立った。学年160人分のレポートを毎週提出チェックするだけでも大変だっただろう。大人になってから、なんて贅沢な教育を受けたのかと思い知る。

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