小学4年生の時に、初めてハワイに行った。母の友達がハワイ旅行に当たったといっていた気がする。姉も兄も中学・高校だったから、私だけ連れて行ってもらった。
正直、ハワイ旅行は殆ど覚えていない。屋台で売っているアラジンのキャンドルを買ってもらったことと、ホテルで寝ていたら大人たちは食事に出かけていて、電話で起こされ、合流する為に夜のハワイを一人で歩いたことくらいか。今なら夜のハワイの街を子ども一人で歩かせるなんて考えられないが、当時は全然普通だった気がする。むしろ、一人で無事合流出来て誇り高かった気もする。
私が子どものころとは育児にかかる手間が格段に増えている。こうやって振り返ると、私の子ども時代は育児中でも親もしっかり遊んでいるし、子どもの世界に大人はそれほど介入してこなかった。
この頃、姉が中学の健康診断で引っ掛かり、二週間ほど検査入院をした。結果的に姉は今は健康に過ごしているが、当時は膠原病疑いということで、母は非常に悩んでいたらしい。母が悩んでいたことをを聞いたのは大人になってからだが、この入院で私は姉は病弱なんだと認識した。
小学5年生から、中学受験の為の塾通いが始まった。小4の終わりの春期講習から、いきなり入れられた。中学受験は、過酷だった。毎週のテストの成績順に席が決められ、否が応でも自分の序列を意識させられる。成績が良くなるほどに前に行き、クラスが上がるとまた最後列からのスタートだ。小学校では勉強に苦労したことが無かったのに、塾の授業はさっぱり分からない。それについていく為に、今までは早く寝ろと言っていた癖に遅くまで勉強をさせられる。
強制されてやっている勉強なうえに、分からないから捗らない。勉強しないと母は怒った。したくもない勉強をさせられて、勉強しないと烈火の如く怒る母に理不尽を感じたし、勝手に入塾させて課金をスタートさせて、勉強しない私に向かって勉強しないんだったら中学受験止めなさい!と怒られるのも意味不明だった。兄は中学受験を希望し、姉は地元の中学への進学を希望し、それぞれ希望通りに進学した。上二人に与えられた自由が自分にだけ与えられないことにも不平等さと怒りを感じた。
6年生になって、志望校を明確化していく時期になって、母が選んだ志望校を受けるのだけは絶対に嫌だった。中学受験をしないという自由を与えられないのならば、せめて志望校だけは自分で選ぼうと、制服人気の高かった自由な校風の学校を志望校に選んだ。その学校は、自宅から一時間強の場所だった。
当時は通学の負担など考えられる頭も無かったから、制服と校風だけで選んだが、母は志望校は尊重してくれた。私の中学受験の強制は、姉の高校受験がきっかけだった。高校受験は、担任が進路指導をする為、好きな志望校を受験させてくれなかったらしい。その経験をもとに、私は高校受験回避の為に中学受験を強制された。
中学受験は過酷だったが、社会に出て、あの時の勉強が役に立ってると思う場面も多い。諺や慣用句は人生の役に立つし、高度な算数もなんだかんだで日常的に役に立つ。最近の中学受験は更に過酷になっているというから、安易には勧められないが、私は中学受験の素地だけで大学受験に挑み、現在は人並みの年収と資産を得ていると考えると、3年だけで済む分、もしかしたらコスパは良いのかもしれない。
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