幼少期:3-4歳

私の人生

思い出せる一番古い記憶は、恐らく3歳の記憶だ。前日に母と姉が、光GENJIのコンサートのチケットが取れた、と嬉しそうに話していた。自分も行きたくて、大泣きをして駄々をこねた次の日、起きると既に母と姉はいなかった。実家の敷地内には祖父母の家があり、泣きながら祖父母の家に行った。多分、これが一番古い記憶だろう。

当時の私の世界は、自宅から半径200~300mが全てだった。まだ幼稚園にも通っておらず、友達は近所に住んでいる幼馴染と、たまに自宅に訪れる母の友人の子どもたち。毎日日が暮れるまで近くの田んぼでコオロギを追いかけながら遊んでいた。今思うとコオロギを追いかけて何が楽しいのかと思うが、当時は楽しかった。幼稚園に入って、幼稚園で開催されているYAMAHAに通うようになった。兄・姉ともにやっていたので、入れるのを楽しみにしていた。そこで初めて、自宅から半径300m圏外の友達が出来た。

父は祖父とラブホテルを経営していた。今思えば、当時は経営も順調だったのだろう。小さい頃はまだ祖母が元気で、母も働いていたので祖母に色々な場所に連れて行ってもらった。横浜の高島屋の上層階のレストランで食事をするのがお気に入りだった。リボンやフリフリの洋服が好きだった。

幼稚園では、園長の息子さんが送迎バスの停留所から幼稚園までを引率してくれていたことを覚えている。子供の背丈からすると息子さんは巨人の様に大きく感じていた。在園中に園長が亡くなり、幼稚園でお葬式があった。そこで初めて、人が死ぬということを認識した気がする。今思えば、息子さんは園を継ぐ為に仕事を辞めて戻ってきていたのだろう。いまやその園は大人気で中々入れない。

自宅にいるときは、兄と姉が一緒に遊んでくれていた。兄に高い高いをしてもらっていたら、落ちて肩を脱臼した。痛くて大泣きしながら接骨院に連れていかれ、脱臼を治してもらったことを覚えている。

私は末っ子で、近所にも私より年下の子はいなかったから、自分より年下の存在というものを幼稚園に入って初めて知った。こうやって振り返ると、幼稚園に通うだけでも随分と社会性が養われる要素が多い。

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