男女平等の功罪と、少子高齢化

2024年の世相

私は1985年に生まれた。教育は既に男女平等化されて、男女別々の授業だったのは体育位しか経験がない。仕事も、子供を産まなかったから、評価に男女差別を感じたことはない。

良い時代に生まれたと思う。私が社会人になりたての2007年頃は、女性は出産を機に退職する先輩も多かった。潮目が変わったと感じたのは、リーマンショックだ。

日本で影響が出始めたのは2009年からだったと記憶している。当時、100年に1度の大不況と言われていた。採用は明確に絞られた。2008年新卒は25名前後の大所帯だったが、2009年新卒はたった5名。当時の有効求人倍率は0.42だったから、一度辞めたら二度と職は見つからないという雰囲気だった。育児給付金も、職場復帰給付金が無くなり、全額育休中に支給されるようになった。その結果、女性達は産休・育休を経て、共働きを選択するようになった。

しかし、女性の時間が仕事に奪われても、子育ての大変さは変わらない。復帰した諸先輩方の働き方や葛藤を間近で見て、私は子供を産む気にはなれなかった。当時は子育てと両立する体力・気力お化けの様なパワフルウーマンか、マミートラックでキャリアへの葛藤を抱えながら休む暇なく時短でワンオペのどちらかしか選択肢がなかった。

少子化の要因は少母化、ひいては未婚化だという。未婚独身の私の人生は、典型的な少子化に貢献した人間の人生だ。私にはパワフルウーマンもワンオペも、どちらも地獄にしか感じなかった。2012年には、アベノミクスで女性活躍の推進が始まった。女性管理職の目標が設定されたが、子育てのある女性は物理的に管理職をする時間なんてない。その結果、女性登用には既婚女性よりも独身女性の方が登用しやすい現実があり、女性の年収も伸びやすくなった。トレードオフとして、男性の年収は伸びにくくなった。

政府が様々な施策を促進した結果として、2015年あたりまでは合計特殊出生率は伸びていた。しかし、2016年には待機児童問題を痛烈に批判した”保育園落ちた日本死ね!!!”が国会答弁にまで発展した。これにより保育園の整備が急ピッチで行われ、それまでは保育園に預けられなければ最悪辞めても良いや、という層も職場に戻らざるを得なくなった。さらに2024年現在は保育園落選狙いの育休延長審査の厳格化が実施されるまでに保育園の整備は進んだ。なのに、保育園の整備が進み始めた2016年から一貫して合計特殊出生率は右肩下がり。

現場で見ている所感としては、当然の帰結に思う。働きたくない人も無理やり社会に引っ張り出して、国は、どうにかこうにか女性を働かせようと必死だ。男vs女・独身vs既婚など、多方面で軋轢が生まれる。女性の負担を軽減する為に、父親の家庭参加も求める。結果、男女ともに”24時間働けますか”の状態に陥っている。高齢者の医療費で膨張する社会保障費捻出の為に。日本はなぜか、平等を目指すと等しく貧しくなる。最も成功した社会主義国家とはよく言ったものだ。

それでも、諸外国に比べると生活は豊かだと思う。食事は安く、美味しい。安全で子どもだけで出かけられる。娯楽の選択肢も多い。私は1985年の日本に生まれたことを非常に幸運に思えるが、今後の世代はどうだろう。答え合わせが出来る日を楽しみにしている。

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