高校生

私の人生

高校はエスカレーターでそのまま進学した。バスケ部は中学で辞めた。高校生になって、真っ先にバイトを探した。姉がバイトをしていたというのもあったが、バイトをして自分でお金が稼げるようになれば自由が手に入ると思った。兄・姉に与えられて、私には与えられなかったいくつかの選択の自由。

今思うと、母にとっては兄と姉の経験を経ての最適解だったのだろうが、私は勝手に自分の人生を決められているようで強く反発していた。

最初は、学校と自宅の中間エリアのファミレスでバイトをし始めた。しかしそのバイト先は、シフトは希望制ではなく、店長が勝手にシフトを作る形だった。当時は、公立は第二・第四土曜日が休みだっただろうか。私の学校は土曜日も毎週授業があった。毎回シフトが出るたびにこの日は学校があるから来れないというのも嫌になって、辞めた。

次に探したバイト先は、自宅よりのシフトの希望が出せる定食チェーンを選んだ。そこは同年代も多数いて、6年位働いた。バイトが楽しくて、週5くらい入っていたと思う。どんどんバイトに浸食されていく生活で、バイト先が自分の居場所になった。

高校2年の時に、私の通う学校も土曜日が休みになり、完全週休二日制となった。これによって、今までは実授業数が分母になっていた出席日数の計算が、計画授業数が分母になり、”何回まで休めるか”の計算が立ちやすくなった。これがきっかけで、私は最低限の出席日数で高校生活を送るようになった。

朝、通学の途中で途中下車をして、バイト先でグダグダ話してから学校に行くようになった。何かのきっかけで親にそれがバレて、バイト先を強制的に辞めさせられたが、内緒で戻った。

高3にもなると、大学受験が近づいてくる。一応名目的には進学校だから、周囲は受験モードに入ってくるが、私はどうしても勉強をする気にはなれなかった。ちょうど氷河期の時代だったから、世の中にはフリーターも溢れていた。受験をしたくないという私に、親は進学か、就職かの選択を迫った。そう言われると、来年の4月から働くというのも考えられず、適当に自宅から近い大学や無勉強で行けそうな大学をセンター試験を使って受験した。センター試験は、高望みしない大学であれば中学受験の素地だけで十分合格点が取れた。

いつだったか、友人の家に遊びに行った際に、友人の母から「あんたたち、高校の時にそんな自由を謳歌していたら、大学生楽しめなくなるよ」と言われた。この言葉の意味を、大学に進学してから思い知ることになる。

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